そして、また―



どんよりと曇った昼前の空。
どこか遠くから、悲しい旋律が聞こえてくる。
肌寒い気温に、嫌な感じを覚えた。

こんな日は、何をやってもうまくいかないというが、
こんな気分になるくらいなら、なるほど、それは言えてるかも知れない。

人々も立ち往生せず、足早に歩き去っていく。
何を急いでいるのか、それともこの場所から一刻も早く離れたいだけなのか。
とにかく、今日のストリートは、まるで寂れた宿場町のようだった。


長く続いていた足音が、こつん、と最後の音を響かせ、完全に止まった。

目の前には、Atlantisアトランティスの看板。
そう、また、私はここにきていた…。



「おや、セラティさん。お久しぶりです。今日は何の御用で?」
店長が、グラス拭きをやめ、カウンターから出迎えた。


「いや、今日は仕事は関係ない。近くに寄ったから、ついでに来たんだ」
そう応えながら、カウンター席に着く。

おそらくはこの天気も影響しているのだろう。
店の中には、まだ昼前だからか、誰もいなく、閑散としていた。

「このとおり、誰もいませんから、ごゆっくりしていって大丈夫ですよ」
「そうか、そうさせていただこう。シフォンケーキと紅茶をひとつ。」
かしこまりました、と丁寧におじぎして、店長は奥へさがる。

店の中は、前来た時とはさほど変わっていない。
一つ違うところをあげるとすれば、前は夕刻近く、
ブラインドは下ろされていたが、今回は上げられているということ。
ただ、肌寒い気温のためか、窓は固く閉ざされ、少しの隙間風も感じない。
降りそそぐ日の光もなく、店の中は相変わらずほんのりと薄暗かった。
あるいは、それもこの店の雰囲気に一役買っているのかもしれない。

「おまたせいたしました」
そういって、店長がケーキと紅茶を運んでもどってきた。

空の青さをそのまま吹き付けたかのような、
鈍く透ける半透明のティーカップに注がれたその匂いは、アプリコットの香り。

同じく滑らかな食器にのせられた、シフォンケーキは、紅茶の色合い。

「んぅ、むぐむぐ、…ごくっ」
口に入れてから、おもわずしたつづみする。

「はぁっ、うん、おいしい。」
「そうですか、よかった」

やっぱりここのものはおいしい。
今度他のメニューも食べてみよう。
きっとおいしいに違いない。


「ところで…あれだ、リエナは?」
そろそろかな…そう思い、何気なく聞いてみる。

「リエナですか?今は、お医者様のところに行ってますよ。
症状も回復に向かっているそうです。
その節はどうもありがとうございました」
案の定、何の疑問も持たずに、なんなく応えてきた。

「ふうん。それはよかった。お役に立てたようで何よりだ」
だから私も、普通に、そう返した。



チクタクチクタク…

ただ聞こえるのは、時計の音のみ。
お互いが、じっと相手の顔を目を凝らしてみているだけだった。

「どうした?私の顔に何かついているか?」
先に沈黙をやぶったのはセラティだった。

いえ、とあわてたように返すが、目はそらさない。

一瞬、その瞳の中に、相手を射すくめるような、どこか狂気めいたものが混ざった気がした。
しかしそれは直ぐに霧散し、彼はなんでもないことのように聞いてきた。

彼はそれを何でもないことのように装っていたが、
それは隠し切れず、強い好奇心があふれ出ていた。


「…本当、なんですか。あの話は…?」
すなわち、私がリエナに話した、話のことを。

だから私は、本当のことを答えてやった。


「そうかもしれないし、ちがうかもしれない」と。

目の前の店長…彼が、眉をひそめた。

「どういう意味ですか、それは」

「そのままの意味だ。真実なんて分からない。答えは一つじゃないかもしれない。
選択肢なんていくらでもある。現実なんてそんなもんじゃないのか?
彼女が体験したことがほんとうだったかなんて分からない。
私が話したことが全てじゃないかもしれない。
だが、彼女が悩んでいたのはそんなことじゃないだろう?
彼女が知りたかったのは真実なんかじゃない。
確固たる根拠だ。違うか?
それは裏を返せば、それさえわかったら、全てをなかったことにもできる、ということだ」

「たとえ―」
「それが、嘘だとしても?」

彼が、私の言葉を紡いだ。

私は頷く。

「彼女がこのまま暮らしていくには、それが必要だった。それがたとえ、嘘だとしても、な」

彼が失望したように、ため息をついた。

「それがあなたのやり方ですか。目的を成し遂げるためなら、なんでもする」
そうだ。彼の言うとおりだ。

「聞こえが悪い言い方をして貰っては困る。私は誰かを救うためならなんでもする、それだけだ」

それに…

「君だってそうなんじゃないのか?彼女を救うためなら、なんでもすると、誓ったのだろう?」

瞬間、彼は目を見開き、すさまじい形相で私を睨んだ。
しかし、それが世間的には深い意味をもった言葉ではないと理解したのか、とって貼り付けたような笑みをみせた。

「そうですね。私は彼女を引き取り、幸せにすることを決めたんですから」

「あぁ。君も安心したことだろう。彼女の病症が回復し、そして」
彼が頷く。

「唯一、危惧していた私に何もばれなかったことでな」
は、?
そうとしか形容できない形で、彼は固まっていた。
『そうですね』、というところだったのだろう、まさに『そ』形のまま、ぽかんと口をあけていた。

やがてギクシャクとした動きでこっちをむいて…
こんどこそ、親の仇のようなすさまじい形相で、こちらを睨んだ。

「あの子がしゃべったのか?言え!」

それまさしく命令形で、彼の普段を知る客は、おどろいたことだろう。
しかしセラティはここに来たときからそんなことはとっくに予想していたことだった。

「いや。あの子は何もしらない。君の記憶を見ただけだ」
激昂する彼に対して、セラティはただたんたんと、一切の感情の欠片も見せずに、そう応えた。

「くっくっくっ…人の頭の中を無断で覗くなんて、ね」
彼はそんなセラティを一瞥し、これ以上は無駄だと思ったのか、いつもの口調にもどった。
しかしそれは、どこか卑下た口調で、どこか虫唾が走る喋り方だった。

「君が強く思ったことだ。知らなかったか?
たとえ私が覗こう、と思わなくても、強く思ったことは聞こえてきてしまう。
君も自分の感情のコントロールに気をつけるべきだったな」

彼は半ば諦めたように、…そうですか。と応えた。

それから彼は、頭を抱え、独り言のように、呟いた。
「ウィルなんて少年は本当はいないんだ…」

そして彼の、長い懺悔のような独白は始まった。



当時、彼女…リエナがいた国は、長らく紛争が続いていて、
まともな供給さえ追いつかないほどだった。

俺は敵の憲兵だった。
両親が早くに亡くなり、幼い妹を育てるためには、そうするしかなかった。

憲兵といっても、実質は一介の兵士と変わらず、敵を見つけたら殺せと、そう命令されていた。
俺は何の疑問を持たずに、それこそ敵は人間だとも思っていなかった。

警察とか、軍隊の恐いところはそういうところで、一種の洗脳のようなものだった。

ただ、殺す。動いたから殺す。見つけたから殺す。
まるで呼吸をするのと同じ様に人を殺していた。

恐いとも、かわいそうだとも思わなかった。
毎日、何十人、何百人と殺すうちに、おかしくなっていった。

それこそ道端に落ちている虫を踏み潰すのとさほどかわらない、そんな感情しかいだいてなかった。

ある日、森の洞窟で隠れていた家族を見つけ、
俺は久しぶりに獲物を掴めたと狂喜していた。

何の抵抗もしないただの一般人を殺すことは、なんとも思わなかった。

手を上げさせ、適当な木に縛り付け、家族の見ている前で一人ずつ銃殺した。

次の瞬間には額に穴が開き、どくどくと血の流れる変わり果てた親族をみながら、
皆抱き合いながら涙をながし、祈りながら死んでいった。

叔父、叔母、祖父、祖母、父、母、兄、姉、そして…小さい少女。

「―お兄さん…」
私を、殺すの―?

そう、呟いた。

ぜんぜん似てないはずなのに、
敵の兵に殺されたと報告を受け、けれども葬式にも出られなかった―
妹と、重なった。

思えばそのときから俺は少しづつおかしくなっていった。

最初はなぜ警察が人を殺さなければいけないのか、
警察はみんなを救うのが仕事なんじゃないのか、
そんな疑問さえ抱いていたのに。

もうどうでもよくなったんだ。

妹を殺した敵を許さない。一人でも多く殺さないと気がすまない。

ああ。
なんてことだろう。
妹も、こんなふうに殺されたかもしれないのに。

命乞いをし、なすすべもなく殺されたかもしれないのに…。


おれは出来なかった。
少女を殺すことが。

生かしておけば、必ず俺を殺しに来ると知りながら…
それでも、

どうしても、出来なかった―…


元々、村の医者だった俺は―
知人を頼って催眠暗示による偽の記憶を植えつけた…
あの森に古くから伝えられている伝説を利用し、彼女にウィルという少年を信じ込ませるしか…
そうするしかなかった。
それ以外にどんなことも出来なかった。



こうして引き取って育てているのは
せめてもの償いなんだ…
彼女の肉親を一人残らず殺してしまった、その償い…。


だが俺は恐くて恐くてたまらない…
いつ彼女が…記憶を取り戻すか…

俺を、殺しにくるか…
親の敵をとりに来るか―

「俺は、どうしたらいいんだ―?」

呟いた。


「あなたは許されたいのだろう…あの娘に」

でもそれは許されない。
なぜなら…―それが、貴方の贖罪なのだから―。

「そうなのか…?俺は、許されたいのか…?あの娘に…」

自分が愛した少女に殺される…それ以外に、どんな償う方法があるというのだろう…?
許す、そんな選択肢もあるだろう。
しかし俺は、それを望んではいない。少女もまた…
少女は、思い出すだろう。
そして必ず自分を殺しに来る―

ああ、これは罪なのだろうか。
これが、人を殺した代償なのだろうか―?



独り言のように…
最後は聞こえない。



セラティは無言で、立ち去っていった。

ドアを開け、Atlantisをあとにする。
もう、此処には二度とこないだろうと、そう思った。