意味を問うた真実は。




「これが、私が体験した全てです」

ひどく、重い沈黙があたりに立ちこめた。
誰一人として口を開くことはなく、店は静寂に包まれる。


カタ…ン…
リエナがカップを手に取り、中身を飲み干した。

そして、静かに口を開いた。

「私が気が付いたときには、戦争は終わっていました。
何年もの時がたっていた…。
かつて住んでいた家はなくなり、父と母は亡き人となっていました。
…私の村は事実上消滅して、地図の上からも消え去りました。
私は、村の者だということを隠し、命からがらこの地に来た。
そして…ここのマスターに引き取られたんです」

セラティが、静かに問いかけた。

「貴方は、なぜ、精神科に…?」

「フラッシュバックです。そう…あの日のことが、
いつもいつも私の胸にしこりを残す。
忘れられないんです。
あの森のことが、ウィルのことが」

忘れられるはずがないのだ。
まるで魔法がとけてしまったかのように唐突に消え去ったあの森を。

あの、栗色の髪の少年を。

「お医者様は幻覚だといいました。それは君が作り出したものなのだと。
だけど、私は…っ…そうは思えなかった。
だから、あの森にも行った…
私は…聞いたんです。ウィルの、ことを。」





昔、このあたりは、豊かな自然の恵みにあふれていた。

ウィルとその家族は、この森で、暮らしていた。
だが、ウィルの家は火事になり、ウィルの家族は、
彼一人残して、皆死んでしまった。

彼は、それを理解することは出来なかった。
そして、預けられた家でもろくな扱いは受けてはいなかった。

親戚の家から抜け出しては、
焦げ、すすけた木々の残骸しかない家の火事跡に、木の種と、芽を植えとった。
枯れ、荒れ果てた土地に、瑞々しい木々が取り戻せたら…
それで家族が戻ってくると信じて、毎日毎日…。
不憫に思うものは居ても、止めようとするものも、
教えてやろうとするものもいなかった。
そんなことがずっと続いて…

ある日な、大きな山火事が起きた。

みな必死に逃げたが、途中で、ウィルが居ないことに気が付いた。
親戚の家の者が、あっと声をあげた。
ウィルは、今日も、いつものように、あの火事跡に行ったのだと。

わし等は、呆然と、燃えさかる山を見つめた。
なすすべもなかった。いや、誰も、命をなげうって、
身寄りの居ない少年を助けようとはしなかった。

やがて、雨が降り、火が消えた。
みなが確かめにウィルの家の火事跡に行くと…
そこで、ウィルは倒れておった。
わし等がウィルを助け起こすと、彼はすでに事切れた後だった。
ウィルは種を握り締め―おそらくは埋めにいくはずだったのだろう…
眠るように、彼は死んでいた。

誰かが、ポツリと言った。
かわいそうになあ…

わし等は、その火事跡に、墓石を立て、
ウィルの家族の骨とともに、彼を埋めた。



ウィル・マスターは、確かに存在した。

「嘘じゃない、嘘なんかじゃなかった。
彼は、ウィルは、私の想像なんかじゃなかった。
だからっ…私は…っ…!」

最後まで言えずに、それは嗚咽に変わる。

しばらく、リエナのすすり泣く声だけが、部屋に響いた。


顔を伏せていたセラティが、ゆっくりと顔を上げ、リエナを見つめた。
「君の悩みはなんだ…?私は分からない…。君の物語は完結している。
それでも君は何に悩んでいるんだ?」

マスターに引き取られ、何不自由なく暮らしている。
彼女が悩む必要はどこにもない。
彼女が話した物語は、終わったはずではないのか。
それとも、彼女の中で、まだ終わってはいないのか。

「私は分からないんです。あれはなんだったのか、そもそも理由などあったのか。
あれは夢だったのか、それとも現実にあったことなのか―」

何も分からないまま、現実へと戻された今の自分。
まるで何かが欠落したように、ぽっかりとあいた穴。
釈然としない。
はっきりとした答えがほしかった。
こうだといえる理由が欲しかった。


張り詰めた緊張感の中、まるで息を止めたかのような息苦しさの中で。

やがて―。

ふぅ…と。
セラティが、諦めたように、ゆっくりと息を吐いた。

「これは憶測だ。そもそも確かな答えなどない。それでもいいのなら―」
話そう、と。

セラティが5本の指を立てるた。
「まず、ウィル君のことだ」
そういって、一本目を曲げる。

「彼は実在した。まずこれは確かだろう。現に墓石もあり、老人の証言もある。
リエナ、貴方の想像や幻覚の類ではないことは確かだ。
けれども君が体験したその話の時点で、彼は死んでしまっている。
ということは―」

リエナが、目を見開く。
「彼は、幽霊―?」

「さぁな。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
とにかく人間でないことは確かだろう。
貴方が名もない村の少年のことを知っていて、
それが幻想の材料になった、というのもおかしいしな」

まるで探偵のように、次々と推理していく。
ここだけをみれば、誰が彼女を聞き人などと思うだろう。

「次に、貴方が話した森のこと」
そういって、二本目の指を曲げる。

「まず普通の場所ではないだろうな。
本当の森は火事で荒れ果てているはずだから、
貴方が見た緑の森は、彼―ウィルの記憶の中の森」

リエナが相槌をうつ。

「彼は何故作り物の森に存在していたのか。
その森は彼が作り出した空間。彼は記憶に縛られた、おそらくは地縛霊。 その地に縛り付けられ、作り物の森を出ることは出来ない」

彼の時は文字通り止まったのだ―。

「そして、理由。彼がなぜそうなってしまったのか―」
そういって、三本目の指を曲げる。

「彼は辛かったんだろう。緑の葉のない、家族の居ないあの場所が。
茶色く枯れた葉が、そのまま家族がいないことのように思えて…
瑞々しい青さがあれば、家族が戻ってくると信じて…
だから、彼はあの森に居た。緑の広がる、かつての記憶そのままの…森に。
しかし、そこには、家族はいない。家族は戻ってこない…」

「それと、貴方のことだ、リエナ」
そういって、四本目の指を曲げる。

「え…。私…?」

「家族はいない。彼は寂しかった。
だから…同じように、戦争という現実から逃げてきた貴方が選ばれた」

「選ばれた…?」
呆然と、リエナは呟く。

「そう。貴方は招かれたんだ、あの森に。
しかし君は死人ではない。君の時は完全には止まってはいない。
だから君は帰ることができた。それだけだ」

私は選ばれた?あの森に、彼に―?
分からない、なぜ、どうして―
ど、う、し、て。

私は―

「そして、最後に…“グリーン・リーフ”」

ッ―!

「グリーン・リーフ…それは、緑の葉。
彼は、どうなったのだろうか?
今もあの森で、一人で、いるのだろうか―。
グリーン・リーフ、それがすべての鍵だ」

グリーン・リーフ。
彼、ウィルが、幾度となく呟いていた言葉。
そして―

「彼はあの森を、グリーン・リーフ、と言った。
彼の救いはそこにある。
グリーン・リーフこそが、彼の願い。
それはそのまま家族とともに過ごしていたときの事を指す。
そして、貴方が見つけた、彼の墓標のそばにあった小さい木―
そこにほられたグリーン・リーフの文字。
その場所は彼が小さい木の芽や、種を植えていた場所…」

そうだったのだ。
グリーン・リーフとは、そういう意味だった。
それは、彼の願いそのものだった。

「彼の願いの象徴―グリーン・リーフは、誕生した。
それは、何故だろう。それは、貴方だよ、リエナ」

「…どういう…」
意味ですか、と。

「貴方はこう言ったんだろう。
『思い出だけじゃない、これから見える物もある』
そう、まさにそれは、過去に囚われていた彼への言葉。
だから彼は、救われたんだよ。貴方が、救ったんだ」

過去に囚われ、永遠に続く日々の中で、作り物の森に存在していた彼が。
緑の葉のない現実を、家族がいない現実を、受け入れられなかったことを。

どれだけつらかったことだろう。
どれだけ苦しかったことだろう。


「そっか…そうだったんだ…!私は…っ…」


私は知りたかったのだ。

私が彼と出合ったことに、どんな意味があったのか。
意味なんてなくていい。理由なんて分からなくてもいい。

ただ、彼と過ごした日々が、無駄ではないと、そういえる根拠が欲しかった。

ちっぽけかもしれない。
ばかばかしいかもしない。
けれど、私の言葉が、たしかに彼を救ったというのなら。


「セラティさん。私、もう、大丈夫です」

それでいいじゃないか。
素直にそう思えた。

セラティは、そこで初めて、にこっと、笑った。
それは本当に、綺麗な微笑で。
私はそこに、彼女の真実の優しさをみたような気がした。

「よかったよ。もしまたなにかあったら言ってくれ」
そう言って、席から立ち上がる。

「店長、カフェオレごちそうさま。おいしかった」

どうも、と店長が会釈した。

「またな、リエナ。」
「有難う御座いました、セラティさん」
…たぶん、この子はもう大丈夫だと思う。

からんからん…

入ってきたときと同じように、鐘がなる。

こうして、私はAtlantisをあとにした―。