少女が語る奇妙な話




私の町は戦争に明け暮れていた。
何千、何百もの人が死に、毎日、その繰り返しだった。

私は、逃げたかったんだとおもう。
何の意味も持たない、戦争のさなかから。

私は町を出た。小さい頃の、記憶を頼りにして…。
ついた先は、人気のない、荒れ果てた森だった―

「つかれ…た…たす…けて…っ…!」

そのまま寝てしまったんだろうか。
目の前には、緑の森が広がっていた。
さっきの荒れ果てた森とは違い…

「ようこそ、グリーン・リーフへ。」
驚いて振り返ると、そこには栗色の髪の男の子が立っていた。

「グリーン・リーフ…?」
「ここの名前。遥かなる大地、さ。」
男の子は言葉をきった。

周りには、美しい湖、そしてさまざまな植物、生物がいた。
その横に、かわいらしい家があった。

「僕は、ウィル。君は?」太陽の光がまぶしかった。
「私は…リエナ…」
素敵な名前だね、とウィルは言った。

「お茶でもどう?此処の水は綺麗なんだ」
ウィルがいたずらっぽく笑った。
「うん…本当に綺麗…!」

「自然のありのままの姿だよ。」

出された物は、胡桃のパンと温かい紅茶だった。
全て此処で取れるものから作っているんだとか。

しばらくして、私はあることに気がついた。
「時計がない…?」
「あぁ…此処には時間はないからね…」
不思議なことを言うなあ、と思いつつ、お茶をすする。

「帰る場所が…無いんだろう?」
ウィルが突然聞いた。
「えっ…なんで…」
「わかるよ、なんとなく。ずっと此処に居てくれるかな…?
君さえ良ければ、だけど。」
そう弱弱しく微笑むウィルの姿が、一瞬、すごく儚げで、今にも消えそうに見えた。

「うん…!」
「そっか。助かるよ、一人じゃ寂しくて」

そうは言ったものの、不思議に思うことがあった。
どんな事情があったのか、なぜ一人で暮らしているのだろうと。

「此処はすぐ暗くなるから。もうそろそろ寝ようか?」
夜の食事をすませると、ウィルは言った。

「部屋は二階ね。大きな窓がある部屋。」
ウィルは一階の角部屋に寝るといっていた。

二階へ上がると、大きな窓がある部屋に着いた。
大きな窓には白いモスリンのカーテンが掛けられ、
木でできたベットにふかふかのモーフとシーツが添えられている。

なんて裕福な家なんだろう…!
感嘆をもらしながら、蝋燭を消す。
灯りがなくなると、あたりは闇に飲み込まれ、すぐ暗くなった。
そのとき初めて、もう辺りがすっかり暗くなっていることに気がついた。
どこかで獣の唸り声が聞こえ、月を隠す雲が一瞬だけはれる。

温かいとも、涼しいともいえない微妙な空気が、頬をなでる。
暗闇の中で、静かにまどろむうちに、意識は薄れていった―――

ピュッピチュ…窓の側で、青い小鳥が鳴いている。
窓からは、鮮やかな緑の木々が見渡せる。
何時置いたのか、ベットの横のチェストには、サフランの花が飾られていた。

一階へ降りていくと、ウィルが朝食の準備をしていた。
「おはよう、リエナ。あー…新しい服用意しといたから、着替えてきたら?」
私は自分のボロボロの服を眺めた。
森の枝によって所々がやぶけ、土にまみれて茶色くなった服を見ながら、苦笑する。
「あーうん、そうだね。ありがとう」

私は言われたとおりに二階へ上がり、その服に着替えた。

袖の膨らんだ白いレースの服。
胸の所でタックが寄せてあり、下までゆったりとした生地が続いている。

朝食の席につくと、ウィルが穏やかに微笑んだ。

「似合うよ、リエナ。」

かすかに頬が紅く染まっていくのが分かる。

朝食は、取れたての木苺に、ミルクというシンプルなものだった。

昼になると、湖の側で食事をすることになった。

「君は…何から逃げてきたの?
ここは…このグリーン・リーフは、時が止まった者しか入れない―」

ウィルが静かにそう聞く。

私は、俯いて、深く息をはきながら、顔を見上げた。

ウィルの真摯な瞳の奥にあるものが、なんなのか…
私は魅入られたようにぼーっと考えていた。

あぁ、これは。
深い、悲しみ。

いつのまにか、私はすらすらと自分のことを話していた。

「私の町で、戦争があったんだ。
お父さんとお母さんは、その戦争で死んだ。
私…嫌になって、それで、生まれた町を出て、逃げようとした。
誰も居ない、戦争なんか起こらない所に…
そしたら、ここに、来たの…」

ウィルは静かに聴いていたけれど、最後に、
「完全に止まったわけじゃない…君の、時間は…」
掠れた声で、呆然と、独り言のように、呟いた。

何日かが過ぎた。ある日―
ウィルは木陰のベンチに座って本を読んでいた。

私が二階に飾る花を選んでいたとき、なにか青っぽいものが見えた。
それは…

「あ…ウィルっ!小鳥よ…大変っ…!」

私の部屋の窓にいた、あの青い小鳥。

ウィルは小鳥をみて、悲しそうに首を振った。
「ぁ…」

私は泣きそうになった。

「この自然から、命は生まれ、そして滅び去る。
その、なんと儚いことか…」

ウィルがポツリと呟いた。

私が振り返ると、ウィルは小さく微笑んだ。

「命の風が吹く森へ…今はなき、詩人の歌さ…」

私達は、小鳥を丁寧に土に埋めた。

私はずっと気になっていたことを聞いた。

「ウィルは、私がなぜここに来たか聞いたけど、あなたはなぜ此処に居るの…?」と。
ウィルは悲しそうに目を伏せた。

「昔、此処には五人の家族が住んでいた。
寝室に花を飾るのが好きだった母さん、
いつも綺麗な服をきて、にっこりと笑っていた妹、
朝はシンプルに済ませていた父さん、
美しい自然が大好きだったお爺さん、
そして、そのお爺さんが大好きだった一人の少年―
でも、家族の幸せはそう長くは続かなかった。
火事が起きたんだ。
一人奇跡的に助かった少年は、親戚の家に預けられた。
しかし、家族が死んだことを理解できなかった少年は、
預けられた家から抜け出して、荒れ果てた家の火事跡に小さい木の芽を植えた。
それで、家族が帰ってくる、と信じて、毎日、毎日…
そんなことが続いたある日、森で大きな山火事が起きた。
そこに住んでいる人達は逃げたというのに、少年はただ歩き続けた。
そして倒れてしまったんだ。
…逃げたかったんだよ、彼は。
つらい、現実から。
グリーン・リーフ…“緑の葉”のない、あの場所から…
目を覚ますと、そこはあのときのままだった。
そこに家族の姿が無いこと以外は…
そうして、彼は此処に来た。
…彼の時間は止まったんだよ…」

ウィルの話はそこで終わった。
私は最初から気づいていた。
ウィルが、“少年”と語ったのが、ウィル自身のことだということを。

その夜は眠れなかった。
一晩じゅう、考えていた。

朝、一階に下りていくと、ウィルはいつものように支度をしていた。
いつものように…そう、そこに家族の姿がいない以外は…
「ウィルっ…!私、考えた―」

ゴゴゴゴッッッ…

瞬間、すさまじい音が聞こえた。

ウィルはビクッと反応し、叫んだ。
「いけない…思い出しすぎた…今ある現実を…
リエナっっ!早く、君だけでも、時間に流されないうちに、本当の森へっ!」

「でっでもっ私、まだ―」
「早くっ!」

ウィルに急かされ、私は家の外に出た。
「湖を抜ければ大丈夫だから…
リエナ、楽しかったよ。
一人ぼっちだったから…。
ありがとう…さよなら」

私は涙が溢れた。

「いやよっ最後みたいに言わないで…!
…ウィル、私思ったの。思い出だけじゃない。
これから見える物もあるんだって…!」
ウィルは何かに気づいたかのようにはっと顔を上げた。

ゴゴゴ…

「行ってッ!」

それが。ウィルとの別れだった。


目が覚めたところは、森のはずれ。

そして、あの戦争はあっけなく終わっていたのだった。


そして今、また此処に来ている。

彼が見ることが出来なかった、グリーン・リーフを探して。

コツッ

「ん…?」
私は何かにつまずいた。

よく見てみると、それは墓標だった。

『1970−1980 ウィル・マスター 遺族の骨と共に。』

茶色の荒れ果てた葉、周りには、そんな木が茂っていた。
ただ、その墓標のよこには、小さい緑色の木が、根をはっていた。

私はウィルが言っていたことを思い出した。
確かに、彼はこう言っていた。
『小さい木の芽を植えた』と。

「そんな…っ」
私は、泣くことも出来なかった。

小さい木には、こう彫ってあった――。

“グリーン・リーフ”


……