売れない作家とお人好し教授




こんな日に、私は何をやっているのだろう。

こんなに晴れ晴れとした、空の下。いや、空の下にはいない、いるのは家の中だ。
それなりに温まった部屋の中で、しんと張り詰めた空気の中で。

かちゃかちゃと、タイプライターを打っている。

…分かってる。これは私が悪い。完璧に、完全に、私の失態。
徹夜で締め切りの過ぎた小説を書く、なんて。

しかも、どこかで聞いたことのある内容で、題名も叱り。
ほんとうにつまらない、何のひねりも無い。

ふん、そもそも締め切りが過ぎてからでは遅すぎる。
いつだってあの編集長は、人に笑顔でものを押し付けるのだ。

今日中に書けだって?出来るはずがないじゃないか。
電報で知らされたのが昨日の夜中だ。
その時点でもうマイナスだ。しかもなぜそれを私に頼む?
私の文章を見て感動したのはいまだかつてあの編集長くらいなものだ!

…こんなんだから売れないのかもしれない。
私は知れずと唇をかんだ。イライラしたときの癖だ。

締め切りの過ぎた小説を書かなければいけないような、
そんな、わりと普通の、売れない作家。

…実は、誰も知らない秘密がある。
平凡で、笑ってしまうくらいちっぽけな、ただそれだけの話。
私は、魔術師だった。

ばかを言うなだって?事実そうなのだから仕方がないじゃないか。
私が嘘をついたところでなんになる。
いや、今のは訂正しよう。正確に言えば、私は魔術師の血を受け継いでいた。
だからといって、空が飛べるわけでも、妖しげな呪文を唱えられるわけでもない。
人の心が読めるのだ、私は。

昔この地方には魔術を扱える一族がいた。
それは人の心を読む、なんていうものではなく、本格的な黒魔術を扱うものだったらしいのだが、
魔女狩りなどの異端迫害を経て、その数は急激に減少した。
その生き残りが、私の母だった。

母は私に言ったのだ。
『あなたのその力は、人を呪うためのものなんかじゃない。
確かに黒魔術を扱うためのものだったかもしれない。
けれど、その力は、使い方次第では人を救うことだって出来るものだった。
だから、あなたは、自分の力を、誰かのために使いなさい。
誰かを殺すためではなく、守るために』

しかし、今日まで、この力が役に立ったことは一度だってなかった。
そしてその意味を図る前に、母は他界し、現在に至る。

私は力を使おうとは思わなかった。
忌々しい、古代の力。
誰かの心を覗き見するなど、そんな悪趣味なことなど出来ない。
それでも強く心に思ったことは、こちらがどれだけ耳をふさいでも、聞こえてくるのだ。
だから私は、人を避け、こんな仕事に就いたのだ。

ゴーンゴーン

「あ…」
教会の打ち鳴らす鐘の音を聞いて、私はやっと、長い長い回想から我に帰った。
なにを、やっていたのだろう。
少し、考えすぎた。やはり、疲れているのだろうか。
12時の鐘。
とこか遠くで、鳥の鳴き声がする。
私は恨めしく窓の外を眺めた。
日曜日の午後。素敵な時間。
私がのんびりと日々を過ごせる、この時間帯に。
とっさによこあった珈琲を手にとって一気飲みに近い感じで飲み干した。
「甘っ…」
瞬間。顔をしかめる。何、これ。
そういえば。寝ぼけて砂糖を入れてしまったような。



日曜日の午後。青く澄み渡った空と、冬特有の清清しい空気。
大勢の人があるくメイン通りを、同じように彼女は歩いていた。

緩やかな癖のある亜麻色の髪が、風になびく。彼女の長い髪は、優しく踊る。
薄い絹のドレスを、黒統系のレースでかざった控えめで上品な服装。
黒曜石のような、深い鈍い光をやどす瞳。
よく見ると顔立ちも整って、白い肌とのコントラストが良く映える。

彼女が歩くたびに、カツン、カツン、とブーツの音が鳴る。
道行く人は彼女の容姿と相まって、みな振り返った。

彼女が一軒のカフェテラス入ると、彼女の完璧な容姿に、まず店員が言葉を失った。
それでも気を取り直して、まだ震える声で聞く。
「お、お名前を」
この国では犯罪防止のために名乗るのが常識となっている。
だから彼女も、つげる。
「セラティ。セラティ・マクレーンだ」
その口から紡がれた言葉は、どこまでも無機質な、それでいてよく通る声だった。
…口調はやや乱暴だったが。
「せ、セラティ様。ようこそおこしくださいました」
「なぜそんなに気張る?私は来たくてきた。あなたが気を使う必要はない」
ばさり。そんな音が聞こえたきがする。哀れな店員は、呆然とそれ以上いえなくなってしまった。
今度はあきらかに引きつったウァイトレスが注文をとる。
「何になさいますか」勤めて冷静を装って。
「声が震えているぞ。大丈夫か」
…見破られていた。
こっそりため息をついたウァイトレスに、さらに言葉を浴びせる。
「ああ、ブラック珈琲を頼む。とびきり熱くて、苦いやつを」
普通の注文だったことに安堵し、緊張を解く。
「かしこまりました」
そういってにこやかに立ち去…ろうとしたウァイトレスの前に、何かが飛び込んできた。
ひらひらと。お札が。しかも、ゼロが異常なまでに多い。
あっけにとられるウァイトレスに、彼女が言い放つ。
「前金だ、渡しておく」
彼女の手首にまかれた黒いリボンが、視界の端に見えた。



「セラティ君。セラティ君じゃないかな?」
私が優雅に珈琲を飲んでいると、どこからか、私を呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると、そこには…予想どおりの人物が。

気の良さそうな、丸眼鏡をかけた初老の男性。
見事な顎鬚をたくわえた、小太りの…あー…コホン、失礼。恰幅のいいその人物は、私を見つけると、
無遠慮に私のいる猫足の丸椅子に腰掛け、ガラステーブルの紅茶ケーキを掴んで食べた。
「あぁっ!私が取っておいたのにっ…」
「むぐ、んん、おいしかった、ごちそうさま、だ」
じーっとジト目で睨んでも、ニコニコと笑っている。苦手だ、コイツ。

「で、何のようだ、メリル教授」
「ああ、いや、最近大学のほうに来てないじゃないか。生きてるか心配になってね」
心配、されてるのだろうが…
「ってまて、死んでるか、普通?!」
「小説はどうなんだい?売れてるのか心配でね。」
っく…無視られた。
「…ただいま執筆中だ」
「ほうほう、楽しみにしているよ」
今思い出した。私の文章を見て感動したやつが此処に一人いたんだった。

「君の文章は惹きつけられるものがあるのだが、
なにぶんストーリーと人物像を作るのがだめだった。それも直っているかね?」
…しかしこいつは妙にうまい指摘をする。
あの編集長よりかはこいつのほうが使えるんじゃないかと、つくづく思う。

「いや、なかなかアイデアがでない。しかたないから散歩に来たのだが」
いや、あれは確か半ば締め切りから逃れるように珈琲を飲みに来たのでは…と思ったが、
人生には言わなくていいこととそうでないことがある。
そうゆうのの区別がつくのが大人なのだ。
うーん、大人になったな…なぜかズルイ大人になってしまったような…気もするのだが。

「まさか用件はそれだけか?」
「いやいや、実はだね、君に頼みごとがあってだね…」
そういいながら、教授は懐から古びたマッチ箱を取り出す。

「この店に行って、会ってほしい人がいるんだよ」
…いやな予感がする。
「悩み人、か…!」
悩み人。すなわちは悩みを持つ人間のことだ。
私が大学で学んだのは心理学で、教授は学会でも有名な人間だった。
世話になる代わりに、教授のもとへたずねに来る人の対応を何度かしたことがあるのだが、
それがなぜが評判になり、在学中は度々頼まれたものだ。

しかし、他人の悩みを聞くのは、酷く疲れるのだ。
加えて、私は心を見る事が出来るのだ。
他人の心が、重くのしかかる。全て、自分のことのように。
当たり前だ。人の心を見るというのはそうゆうことだ。

それが嫌で、最近は大学にも寄り付かないのだが…

「嫌なのは分かってるんだ、でもね、今回だけは…」

今回だけは。何回聞いたことか。
教授は悪い人ではない。基本的に、困っている人をほっておけないのだ。
だがそれを、私に押し付けるのはどうかと思う。
いや、押し付けてるわけではないのだろう。
私と会話をすれば、本当に悩み人は楽になる。
だから。頼んでいる。
それは分かるのだが…

「断る。私は忙しい。偽善者になるつもりはない。さようなら、教授」

精神レベルで共感する。他人の、心を、記憶を、感情を、共有する。
それは、私にとって、なによりも辛いことだった。

「セラティ君、お願いだ。
今回の子はね、まだ15歳なんだよ。
いままでの不倫や詐欺や不眠症やそんな話じゃないんだ。
この悩みが解決しないと、精神病院に送られちゃうかもしれないんだよっ…!」

精神病院。その言葉は、決定的だった。

「…どうゆうことだ?」
思わず聞き返してしまった。
ああ、後悔してももう遅い。
話を聞いて、今更見捨てることなんて出来やしないじゃないか。

「…冗談だろう?もし本当にそういっているのなら、それは精神病院へ行く価値はあるぞ」
教授から聞かされた話は、突拍子もないものだった。
物書きの私でさえ、考えつかないような。

彼女は、ある不思議な体験をしたというのだ…



私は、古びた扉の前に立っていた。
教授から貰ったマッチに書いてあった住所を頼りに行くと、はたしてそこにその店はあった。
依頼した少女は、この店で働いている、と教授は言っていた。
「Atlantis…?あの伝説の島か…変わった店だ…」
呟きながら、ドアを押す。
ぎぃぃ…と音を立てながら、扉はゆっくりと開いていく。
からんからん…括り付けられた小さな鐘が私の訪問を知らせる。

店の中は薄暗いランプで照らされていて、いかにも昔風の雰囲気だった。
目を凝らすと、壁は年代物のつやのある木でできていて、床は漆喰が塗られていた。
チクタクチクタク…と静かに古時計がなっていて、それもこの雰囲気に一役買っている。

なかなかの店だった。店内にはめぼしい少女はいなく、年若の男が居るだけだった。
休憩中…かもしれない。ならば何か飲んでおこうか…

「カフェオレをひとつ。ブラックで頼む。」
男を呼び寄せ、メニューを見ながら、適当にくつろぐ。
カウンターには真鍮の燭台がおかれ、脇にはガラス戸の付いた食器棚が置かれている。
「おまたせいたしました」
丁寧に男が運んできたカフェオレは、素焼きのカップにそそがれ、香ばしい匂いがとたんに溢れる。

壁に飾られたアフリカ風の敷物を見ながら、カフェオレを飲む。
良い豆を使っていると見えて、文句なしにおいしい。

「ここに少女が働いていると聞いたのだが…知らないか?」
ある程度カフェオレを楽しみ、これはいい場所を発見したな…と考えながら、先ほどの男にそう聞く。
「ああ、リエナですか?今、二階にいるので呼んできましょうか」
「頼む」
そう言うと、男は奥のドアを開けてリエナを呼ぶ。
すこしたって、声が返ってくる。
「今行きます、店長」
そうやらあの男は店長だったらしい。
パタパタとかけてくる音が聞こえる。

しばらくたって少女が顔をみせた。

伏し目がちな、切れ長の瞳。
さらさらと流れる、柔らかそうな漆黒の髪。
肩口で切りそろえた短めの髪と、縁なしの眼鏡がよく似合う、
綺麗なのだが、どこか冷たい印象を与える容姿だった。

「もしかして、聞き人の方ですか」
丁寧に、尋ねる様子から察するに、たぶん育ちはいいのだろう。
聞き人とはいわゆる、相談を聞く者…つまり私のことだった。

「ああ。話してくれないか。その、君が体験したという話を」

自分でも穏やかなほうだと思う類の微笑みを浮かべて、聞いたつもりだったのだが、少女はためらいがちに、こう言った。
「信じて、くれるんですか…?」
「ああ。私は、信じることができる」

そう、私のあの忌々しい力だって、だれかに信じられたことはないのだから。
それがこの話を受け持った、最大の理由かもしれない。

そう告げると、少女―リエナは安堵したように、肩の力を抜く。
そして―彼女は話し始めた。